人の暮らしというものが、その人の年齢や所属、家族構成、思想、経済環境によって様々に違うのと同じように、障害のある人の暮らしもそれと同じ要件によって違うべきであり、特別な人として特別な暮らしを強いられるべきではありません。しかし障害の特性や福祉施策の今までの流れ、支援の方法論の問題から、障害のある人が「普通の暮らし」を求めてもそれに応えることができてこなかったのが現状ではないでしょうか。

「普通の暮らし」とは何か。自分自身の生活を振り返るだけでも人によってその解釈は様々であると考えられます。私達は絶えずそのことを問い続けながら障害のある人の暮らしの在り方について仕事の中で具体的に形にしていかなければなりません。それが私達の仕事の目的です。

在宅で暮らす多動な子供がいます。問題を抱えながら綱渡りのような生活を繋いでいる若者がいます。子供の将来を心配しながらも次のステップに踏み込めない家族がいます。何十年も施設生活を送っている人がいます。彼らが私達の支援の対象者です。様々な暮らしをしています。様々な支援方法が必要です。ひとつの固定したサービスにとらわれない多角的な視点が要求されます。法人内各事業所の持つ特性を生かして、その一部を利用しながらサービスを繋げることも手法として可能です。当然他の機関との連携も含まれます。障害のある人の現在と将来を予見した取り組みが大切です。

私達職員は、利用者に対し強大な権力を持っていることを忘れないで下さい。職員のちょっとした言葉かけや態度が、利用者に如何に大きな影響を与えているか配慮が必要です。利用者との豊かな関係作りは、上から物申すことでは成立しません。言葉づかいは大切ですが、表面的な丁寧さだけでは人との関係は保たれません。利用者が素直に自分の意志を表現できる相手に自分がなることに努めるべきです。少しでもその思いに近づけるよう耳を傾けて下さい。

私達は誰もが「障害者」になる可能性を持っています。「障害」という問題について、他人事でなく自分の問題として捉えていくことは私達の仕事の質を高める上で重要な考え方だと思います。「自分が嫌な事は他人にもしない」というよく聞かれるこの言葉は、「福祉」という世界の中で置き換えてみると、その実践が如何に難しいことかわかります。私達職員は、施設の中だけで通用する世界を作り上げることなく「普通」の感覚をこそ大切にしてほしいと思います。