この原稿を依頼された時、過ぎし四十年が現在から過去へと想いは逆流していった。そして一番先に思った事は、自分自身が在職中は無為無策のまゝに時が流れていったと思うのみである。よく言えば大過なく……ともいえるがやはり行動的には目立つ何もなかったといえよう。

開園当初、私の心の中で誓った真摯な思いと行動は年月と共に先輩施設としての名目で様々な、県その他の役職に任命され立場の違う人の意見も参考にとの考えから引き受け、おかげで自施設に落ち着いて対象者の希望と、その上での向上を願う気持ちや行動から遠ざかってゆかざるを得なくなった。そして広い意味の社会福祉への構想会議に忙殺されてゆくうちに基本的な考えが薄らぎ、本質を忘れたが如く次々と運営法や名称にこだわり変化する行政の在り方、戓いはその考えの上にのっとった新型施設や理論だけで実のないオポチュニスト連中に不信と疑問を持ちながらも時代の流れに即応せざるを得なくなっていった。

そして二十一世紀という時をきっかけに社会福祉に対する新しい構想の工夫、あみだし、又地域福祉の推進にも思いを致す時代となっていった。新しい世紀ともなればそれが未だ曖昧で何の変哲もない言葉のあやつりとしてもとにかく旧態依然とした経営方針は少しずつ削除されより進歩的とみなす方向へとなびくのである。いや、考え直して前方を見る必要も多々ある事も事実である。が、しかし基本的な理念も変わるのであろうか。理想的な或いは時代の先端を行く福祉社会を論議しそれをあたかも新時代の区切りとするような計画構成が進歩的人材によって作成されてゆく。

しかし最も大切な何かを忘れ、実施より体裁のよい理屈の交差する傾向に気づいているのだろうか、理想的な施設の中に魂が入っているのだろうか。せせらぎ会は人の力や金を当てにせず私自身の信念で始めた施設である。人と人との程よい暖かい接触と誰もが求める自由と平和を望んでいる事に心を向けて共に前進してゆく事こそこの施設の歴史を物語っているのだ。その上での形の変化は近代的な方がいいだろう。

今、せせらぎ会は四十年を迎えたのだ。新しい事業も導入され、職員も増員され、しかも若返った。そして色々とバラエティーに富んだ企画が一ヵ年の行事として満載されている寮舎等建物も少しずつ増改築されてきた、それは対象者の側に回っての細かい思慮により作成されたものである事と思う。そして職員一同、その精神に共鳴し、勉強しその自覚を元に日々通っている事を信じたい。そしてご兄弟の皆さんは吾が子、吾が兄弟姉妹が職員という名の他人の誠意ある介護によって楽しい健康な生活をしていることを心に刻み常に、そして何時も忘れない肉親の存在を自問自答してほしい。やや古めかしい理想論的な述懐は退職して八年の歳月の過ぎ去った老人のたわごとであり反省の思いでしかないのかも知れない。最後に今、現役で頑張っている職員の現在、未来を語った言葉を印したい。「私はこの数十名のせせらぎ会の人達の事のみ考え働く毎日です。その健康と平和な生活を祈るのみです。」